家族で台湾旅行に行く前日から本書を読み始めた。読み終えたのは、桃園国際機場へ向かう飛行機の中だ。
台湾にはこの旅の半年前にも妻と二人で出かけた。その時は妻も初訪問で、しかも慌ただしい旅だったので、通りをかろうじて歩き回った程度。
今回の台湾旅行は娘たちも同行した。娘たちにとっては初めての台湾。なので、今回の旅も観光客としての移動に終始した。

私にとって台湾は三度目だ。妻と二人で旅する前に台湾を訪問したのは、その二十三年前のこと。
その時は、自転車で約十日かけて台湾を一周した。その前後の三、四日間では台北を動き回り、観光に費やした。
夏の台湾を自転車で一周した経験は、私にとって絶大な自信となった。それと同時に、日本に対する台湾の人々の想いの深さが感じられたことでも印象に残っている。
道中、各地で年配の方が流暢な日本語で私たちに声を掛けてくださった。そして、あれこれと世話をしてくれた事が忘れられない。
親日国の台湾。その印象が強く残っている。懐かしさとともに。

ここ最近、わが国とお隣の韓国との関係がとても良くない。戦後でも最悪と言われる日韓関係が続いている。
だが、台湾の人々は、今もなお日本に好意を持ってくれているようだ。
今回の家族旅行でも、何店ものお店を巡った。そうしたお店に並ぶ商品に、日本語で書かれたパッケージのいかに多かったことか。

日本語をしゃべれる人こそ減っているものの、台湾の皆さんの日本に対する感情の悪化は全く感じられなかった。二十三年前の旅行で得た印象が覆される出来事にも遭うこともなく。

そもそも、日本にとっての台湾とは、日清戦争の賠償で清国から割譲された地だ。
それ以来、第二次大戦で敗れた日本が台湾の統治権を失うまでの五十年間、台湾は日本の統治下にあった。

日本統治下の日々は、台湾にとって良いことばかりだったはずはない。時には日本による誤った行いもあったはずだ。
だが、結果的にはかなりの好印象を台湾の人々に与えた事は確かだ。それは私が三回の台湾旅行で体感している。
そうした対日感情を育んだ五十年間の統治の秘密は何か。統治に当たって、台湾の方々にどのように日本への信頼感を醸成したのか。それを知りたいと思っていた。

日本による台湾の統治がどのように行われたのか。それを解き明かすのが本書だ。
そのために著者がとったアプローチはとてもユニークだ。当時の現地の新聞の漫画を取り上げている。新聞の漫画と言えば、一目で世相を表すような工夫が施されている。だから、当時を知る資料としては一級であるはず。本書は新聞の漫画を取り上げ、それらをふんだんに載せることにより、当時の台湾の世相を今に伝えている。

本書には多くの漫画がとり上げられているが、その中でもよく登場するのが国島水馬の風刺漫画だ。私はこの人物については、本書を読むまでは全く知らなかった。
それもそのはずで、国島水馬は台湾の現地紙にしか漫画を連載をしなかった。しかも戦前から戦後にかけて消息を断ち、どのような最期を遂げたのかもわかってない。全くの無名に近い存在なのだ。

だが、国島水馬や他の方の描いた漫画を追っていくと、日本が台湾をどのように統治していったかがわかる。
統治にあたり、日本人が台湾にどのように乗り込んだのか。日本で時代を作った大正デモクラシーは台湾ではどのように波及し、人々はどのように民主化の風になじんでいったのか。
本書は風刺漫画を通して台湾の世相を紹介するが、本島人と日本人の対立や、日本からは蕃族と呼ばれた高砂族への扱いなど、歴史の表には出てこない差別の実相も紹介している。

少しずつ台湾統治が進みつつあり、一方で日本の本土は関東大震災に傷つく。
その時、台湾の人々がどのように本土の復興に協力しようとしたか。また、その翌年には、皇太子時代の昭和天皇が台湾旅行を行うにあたり、台湾の人々がどのように歓迎の儀式を準備したか。そうしたことも紹介される。

台湾が少しずつ日本の一部として同化していくにつれ、スポーツが盛んになり、女性の地位も改善が進み、少しずつ日本と台湾が一つになってゆく様子も描かれている。

ところが、そんな台湾を霧社事件が揺るがす。
霧社事件とは、高砂族の人々が日本の統治に対して激烈な反抗を行った事件だ。日本の統治に誤りがなかったとは言えない理由の一つにこの霧社事件がある。
霧社事件において、高砂族の人々の反抗心はどのように収束したか。その流れも漫画から読み解ける。
不思議なことに、霧社事件を境に反抗は止み、それどころか太平洋戦争までの間、熱烈な日本軍への志願者が生まれたという。
霧社事件の事後処理では高砂族への教化が行われたはずだ。その洗脳の鮮やかさはどのようなものだったのか。それも本書には紹介されている。

その背景には、台湾から見た内地への憧れがある。台湾からは日本が繁栄しているように見えたのだろう。
ところが当時の日本は大正デモクラシーの好景気から一転、昭和大恐慌と呼ばれる猛烈な不景気に突入する。その恐慌が軍部の専横の伏線となったことは周知の事実だ。
そんな中、どうやって台湾の方々に日本への忠誠心を育ませたのか。それは、本書の記述や漫画から推測するしかないが、学校教育が大きな役割を果たしたのだろう。
先日、李登輝元台湾総統が亡くなられたが、単に支配と被支配の関係にとらわれない日本と台湾の未来を見据えた方だったと思う。
おそらくは李登輝氏の考えを育んだ理由の一つでもあるはず。

残念なことに、本書は国民党が台湾にやってきて以降の台湾には触れていない。
時を同じくして国島水馬も消息を絶ち、現地の風刺漫画に日本語が載ることはなくなった。
だが、本書の紹介によって、現地の人々に日本の統治がどのように受け入れられていったのかについて、おおまかなイメージは掴めたように思う。

本書から台湾と日本の関係を振り返った結果、よいことばかりでもなかったことがわかる。
だからこそ、私が初めて台湾を訪れた時、日本の統治が終わってから五十年もたっていたにもかかわらず、台湾の年配の方々が日本語で暖かく接してくれた事が奇跡に思える。
それは、とりもなおさず五十年の統治の日々の成果だと思ってよいはず。
もちろん、先に書いた通り、日本の統治の全てが正しかったとは思わない。
それでも、中国本土、台湾そして日本と言う三つ巴の緊張の釣り合いを取るために、台湾を統治しようとした日本の政治家や官僚の努力には敬意を払いたい。霧社事件のような不幸な事件があったとはいえ、烏山頭ダムを造った八田氏のような方もいたし、日本の統治には認められるべき部分も多いと思っている。
私が初めて台湾を訪れた時に感じた感動は、こうした方々の努力のたまもののはずだから。

私もまた台湾に行く機会があれば、地方を巡り、次は観光客としてではなく、より深く台湾を感じられるようにし、本書から受けた印象を再確認したい。
日韓関係の望ましい未来にも思いを致しつつ。

‘2019/7/22-2019/7/23


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