今日はグレン・フライが亡くなりました。先日のデヴィッド・ボウイに続き、私の好きなアーティスト達が去っていく事にショックを隠せません。

グレン・フライといえばイーグルスのフロントです。1970年代に数々のヒット曲を送り出したイーグルス。中でも「One Of These Nights」と「Hotel California」は大好きな二曲です。Google Play Musicで私の好きな洋楽曲を百曲以上リスト化していますが、上の二曲ともにトップ10に入っています。

Google Play Musicでリスト化した百曲以上のうち、1970年代の曲は他にも沢山あります。それらの曲は1973年生まれの私にとっては、全て物心つく前に流行ったものです。でも、親がカーペンターズやサイモン&ガーファンクルのレコードを良く掛けていたので、私の耳にはよく馴染んでいるのです。

中三で洋楽に興味を持ってから、1970年代の曲やアルバムはよく聞きます。レッド・ツェッペリンやディープ・パープル、イエスやジェネシス、ビリー・ジョエルにスティーブ・ミラー・バンド、あとデヴィッド・ボウイやクィーン、その他色々。彼らの多くは1980年代にも名盤と呼ばれるアルバムを出しています。

でも彼らの遺したアルバムで、私が好きなものは70年代に発表されたものばかりです。「最終楽章(コーダ)」よりは「レッド・ツェッペリンⅣ」。「パーフェクト・ストレンジャーズ」よりは「マシン・ヘッド」。「ロンリー・ハート」よりは「こわれもの」。「インヴィジブル・タッチ」よりは「眩惑のブロードウェイ」。「イノセント・マン」よりは「ニューヨーク物語」。「アブラカダブラ」よりは「フライ・ライク・アン・イーグル」。「レッツ・ダンス」よりは「ジギー・スターダスト」。「カインド・オブ・マジック」よりは「オペラ座の夜」。

所詮は私個人の趣味嗜好に過ぎないのかもしれません。幼時の音楽体験を引きずっているだけなのかも。

でも、ひょっとしたらそれ以外に理由があるのかも。今回、私を立て続けに襲った悲しいお知らせに、改めて1970年代の洋楽とはなんぞ?を考えてみました。

1960年代は、モータウンに代表されるアフリカルーツのサウンドが一世を風靡 しました。ブルースがロックミュージシャンに取り上げられたのもこのころ。一方、1980年代はイギリス色が強く、洗練されたきらびやかなサウンドがシーンを席巻しました。

では、1970年代とは何だったのでしょう。私は音楽の多様性が一斉に花開いた時代だったと思っています。ハードロックやメタル。フォークロックやブルースロックにシンガーソングライターたち。サザンロックそしてプログレッシブロック。パンクやディスコやグラムロックも1970年代。百花繚乱です。さらには英米だけではありません。ABBAに知られたスウェディッシュポップや、ボブ・マーリーによるジャマイカン・レゲエも広まりました。また、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジル、ガル・コスタなどによるブラジルMPBのムーブメントも忘れてはなりません。1970年代の音楽を一言で云い現わすとすれば、多様性につきると思います。そして、それこそが私が1970年代の音楽に惹かれる理由なのでしょう。多様性。素晴らしい言葉です。

冒頭に挙げた「ホテル・カリフォルニア」には、あまりにも有名な歌詞の一節があります。

“We haven’t had that spirit here since 1969”

「ホテル・カリフォルニア」は音楽ビジネスの繁栄の裏にある虚しさを描いた曲として、あまりにも有名です。ここに挙げた歌詞の1969とは、ウッドストック・フェスティバルが催された年。要は1970年代以降の音楽にはスピリッツ、つまり魂がないと自虐的に歌ったのが「ホテル・カリフォルニア」です。それを歌ったのが1970年代を代表するアーティストであるイーグルスであるところがまたしびれます。

でも、魂を失ったからこそ、それを求めてミュージシャン達は様々な方向性を模索したのですよね。

1970年代の音楽ビジネスの裏側はすでにどろどろしていたかもしれませんが、真の音楽を求めるスピリッツだけは喪っていなかった年代。私は1970年代をそう位置づけています。私自身が意識することなく、それでいて幼い感性で空気を感じていた時代。それこそが1970年代なのです。

今、日本の音楽シーンもにぎやかなようです。しかし残念なことに、音楽性とはかけ離れた俗な話題でにぎわっているに過ぎません。

ゲスの極み乙女は、サカナクションと並んで私が最近興味を持って聞いている日本のバンドです。が、今回の騒動ではバンド名を絡めて揶揄される存在に成り下がっています。それはとても残念なことです。せっかく光る音楽性を持っているのに。

smapは音痴ネタが独り歩きするなど、音楽よりも他で才能を発揮したグループだったかもしれません。でも、音楽面で全く聴くに値しないグループだったとも思いません。「ライオンハート」はよく聴きましたし。昨秋もパラ駅伝で彼らのステージを偶然観る機会がありましたが、まぎれもなく日本の一時代を築いたグループであると感じました。今回の騒動の結果、彼らが仮に独立出来ていたとすれば、新たな事務所のもとで新境地に至ることが出来たかもしれません。

今回の騒動がゲスの極み乙女やsmapのあり方を損なうことにならなければいいのですが。そう願ってやみません。デヴィッド・ボウイやグレン・フライと系統は違うかもしれませんが、彼らもまた、音楽の多様性を担う存在なのですから。

1970年代に多大な遺産を遺したアーティスト達も、やがては独りずつ舞台を去っていくのでしょう。でも音楽は消えることはないし、彼らの音楽を伝承し、発展させてゆくであろうアーティストには頑張ってほしいです。ゴシップ記事のネタに堕ちるよりよっぽどいいです。

今夜はイーグルスを聴きながら、仕事をすることにします。


コメントを残して頂けると嬉しいです

物申すの全投稿一覧