夏の風物詩。人によってそれぞれである。ある人は花火に夏の開放感を味わい、ある方は甲子園のアルプススタンドに熱気を感ずる。四季折々の風物に事欠かない日本。中でも夏は格別の趣を人々の元へ運ぶ。その色合いは総じて開放的かつ前向きである。

そんな色合いとは異なり、毎夏、思い出したかのようにマスコミに取り上げられる事柄がある。それは戦争に関する話題である。いわゆる終戦記念日であるポツダム宣言受諾、広島・長崎への原爆投下など我が国において開放的かつ前向きとは言い難い出来事が起こった季節。太陽は眩しく、雲は空を衝き、影が色濃く地面に映る季節である。

私もまた、この季節に思い出したように戦争関係の本を手に取る。

特定の史観に絡め取られないよう、左寄りの本を読めば、次は右寄りの本に手を伸ばす。私の読書スタイルである。そんな中、半藤一利氏と著者の一連の作品は、読み終えた後に左右のバランスを取る必要がない。両者のスタンスは、特定のイデオロギーに与せず染まらない。中道をまっすぐに進み、筋を通すことに専心しているように見受けられる。そのため、私も左右の揺れを気にせず、安心して読める。

本書は、著者がそのようなスタンスを貫きつつ、「あの戦争」の通史を分かりやすく伝えることを狙った一冊である。

しかし、中道を進むことは、冒険に走らないことでもある。つまり、本書の内容が教科書的な、なんの新味もない味付けになってしまう恐れがある。私にしてみれば、本書を手に取ったのは通史としての総括を期待していた。そのため、本書から新説を得ようといった期待は持たずにページを繰った。

しかし、さすがというべきか。本書ではそのような期待はいい意味で裏切られた。まず、構成である。通常、このような総括本は、戦争の歴史を時系列で追う。複雑な思惑が絡み合う戦争において、時系列からの捉えは必須と思われがちである。しかし、本書は単純な時系列による構成ではない。戦争を、いくつかの要素に分け、それらの内容を分析することで、その総体を戦争としてとらえようとする。

本書は第一章として、旧日本軍のメカニズムから取り上げる。つまり戦争前史としての大正デモクラシーやワシントン・ロンドン海軍軍縮条約/会議や昭和大恐慌、五・一五事件などの事件ではなく、日本を戦争へ導いた前史として、軍隊の構造からメスを入れる。なぜ軍部の専横が起こったのか、なぜ一部軍人は独走したのか。それを著者は旧日本軍のメカニズムに原因を求める。新鮮な視点である。

第二章は、開戦に至るまでのターニングポイントとして、時系列を少し進め、二・二六事件から始まる軍部の専横に焦点を当てる。天皇機関説の反動で昭和天皇は神格化され、一部軍人はそれを錯覚し、勝手に天皇の名を借りて暴走を始める。太平洋戦争での日本の破滅は、陸軍の暴走にその責を負わせるのが現代の我々の大勢だろう。しかし、本章では黒幕として海軍の一部署を挙げる。ともすれば米内・山本・井上各将の強硬な日独伊三国同盟への反対が持ち上げられ、善は海軍、悪は陸軍と二元化されがちである。しかし石油備蓄がわずかと虚位報告をし、日本を南進へと追いやった責は海軍の一部にあり、と著者は喝破する。私にとって聞いたことのない視点からの糾弾であり、陸軍ばかりが悪ではなかったと知っていたとはいえ、驚きであった。

第三章は、快進撃から泥沼へと題し、もはや敗戦が明確になりつつある中、なぜずるずると破滅への道を歩んでしまったのかを著者は示す。そもそもどういった条件で勝利とみなすか、という策のないまま突き進んだ戦争。いずれも相手国からの働きかけでしか終結点を持っていなかったことに著者の軍部を斬る筆先は向く。日本が主体として戦争に幕を下ろすことを考えておらず、そこにいつまでも戦争が長引いた原因があると著者はいう。

第四章 敗戦へ──「負け方」の研究として、もはや滅亡の道を進むかのように見える日本で、策を練り、日本を上手く負けさせるために努力するわずかな人々の姿を描く。無能な指揮官と無策の大本営にも関わらず、昭和天皇を始めとした戦争終結への努力は、負け方が不得手な日本にあって、今後の指針となるべき示唆に満ちている。

第五章 八月十五日は「終戦記念日」ではない──戦後の日本は、冒頭にも書いた通り、8月15日が終戦記念日として国民にまかり通っている常識に一石を投じる。8月15日はあくまでポツダム宣言受諾の意思表示した停戦でしかなく、ミズーリ号艦上での重光葵全権による降伏文書への調印ですら、終戦とはみなしていない。シベリアや南方の島々に戦士たちが残されている以上、戦後という言葉を使って戦争を終わらせるのはいかがなものかと著者は問う。

それは、夏になると戦争を取り上げるマスコミや、夏になると戦争関連の本を手に取る私への、強烈な問題提起である。

’14/08/12-‘14/08/15


4 thoughts on “あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書

  1. 水谷 学

    山本五十六がフリーメーソンだったという可能性が高いとされる説を見つけてなるほどと納得しました。

    歴史の謎を解く鍵はフリーメソンにありきと思っているので、この事実を知った時に戦史の謎が一挙に解けました。

    現に麻布の旧海軍水交社が、第38メソニック森ビルにある日本グランドロッジになっています。第二次世界大戦中の連合艦隊司令長官、海軍大臣で、第37代内閣総理大臣であった岩手県出身の米内光政、そして連合艦隊司令長官、海軍大将・元帥の新潟県 出身の山本五十六、第四艦隊司令長官で最後の海軍大将の井上成美は、日本海軍士官の「水交社」のメンバーで、フリーメーソンでした。山本五十六は、実は当時のアメリカ大統領であるフランクリン・ルーズベルト大統領やイギリスのチャーチル首相と「結託」して、「宣戦布告無しの真珠湾奇襲攻撃」というシナリオを仕組んだとか…

    空母のいない時期を狙った真珠湾攻撃

    ヨークタウンを取り逃がした珊瑚海海戦

    ミッドウェー海戦などを筆頭にして戦艦群の主力の温存と兵力の小出し投入

    海軍と陸軍が全く連携できていななかったこともあまり知られていません。

    1. 長井祥和 Post author

      水谷さん、おはようございます。

      フリーメーソンに関するあたりは、虚実入り混じっていて、私も慎重に考えています。

      ヨハンセングループも実はほとんどが欧米の手先だったという話もよく聞きます。昔、広島・長崎の原爆投下すら、でっちあげという説が欧米で流通していることを知り、憤ったことがあります。このあたりは確実な証拠がない限り、判断は差し控えようというのが私の立場です。

      最後に書かれた海軍と陸軍の連携が全くされていなかったことは、半藤氏も保阪氏も何度か書かれていますし、他の方の著作でも何度か取り上げられているので、比較的有名な話かなぁと思っています。ただ、海軍が陸軍に偽情報を流し、開戦を推進したというのは本書で初めて目にしました。かなり具体的な数人の名前まで出しています。この件については、引き続き決定的な証拠があればと思っています。

       

       

  2. 水谷 学

    一般的にはミッドウェー海戦の後も航空兵力が激減したとされているが、半年間くらいは日米の運用可能な空母艦載機数は意外なことにほぼ拮抗していた。

    米空母ホーネットが沈没し、米空母エンタープライズが損傷した南太平洋海戦が終わった時点で米軍の稼働出来る空母がゼロになった。この時点で日本の運用可能な空母艦載機は米国を上回ったが、ミッドウェーにて熟練のパイロットを多数失ったことが致命的であった。量的に上回ってもパイロットの熟練度で太刀打ち出来るレベルではなかったのであろう。

    米国が1ヶ月に1隻のペースで空母を建造し始めるようになった1943年2月から、急速に米軍の運用可能な空母艦載機が飛躍的に増えて行って、数的にも日本軍は劣勢を挽回すること無く終戦に至りました。

    1. 長井祥和 Post author

      水谷さん、こんにちは。

      戦史ものはかつてよく読みました。ミッドウェーまでが日本の進撃期で、それを境にひたすら敗北への道を進んだかのようによく言われますが、実際はまだ行けてしまったのですよね。本書でもそのあたりの矛を収める時期を逸した戦略眼のなさが度々俎上に載せられています。

      昭和15年頃から使われ始めた日本軍の暗号も米軍によって解読されていたと聞きます。局地戦でも日本軍の打つ手が暗号解読結果と突き合せ、米軍に手の内を読まれ始めたのも昭和18年なんでしょうね。これで生産量まで差をつけられたのでは、勝てようがありません。

      上昇機運に載っているときこそ、引き際を考えるべき。この時期の戦史を紐解くとき、とくにそのような感想を良く抱きます。ずるずると負け戦になっていくとき、いかにすぱっと勝負を辞めるかの決断力についても考えさせられます。

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