妻から一緒に北海道に行かないか、と言われたのは出発の約2カ月前でした。札幌で開かれる日本矯正歯科学会に妻が出席するので一緒に来ないか、と。マジで?と私が二つ返事で了承したことは言うまでもありません。

旅が好きな私にとって北海道は格別です。生まれてから今まで三回、北海道の一周を果たしています。三度目の一周旅行の時は、妻と長女、そして今は亡き風花も巻き込んで北海道を連れまわしました。それは2002年の晩夏のこと。とても良い思い出になりました。もっとも、行き帰りを飛行機の荷物室に閉じ込められた風花には悪夢だったはず。だからこそ幸福駅で脱走して北の大地に骨を埋めようとしたのでしょう。それから15年が過ぎました。2006年にも仕事で苫小牧に行ったことがありますが、その時を最後に北海道へ行くことは途絶えてしまいました。北海道への飢えと渇きがずっと私の心身をさいなんでいました。夢に北の大地が出て来て私を呼ぶこともしばしば。そんな私にとって今回の妻からの提案は、しおれた花に水をやるようなもの。テンションも上がります。

今回は夫婦で二人だけの旅。羽田で車を停め、早朝のスカイマークで空に飛びました。LCC万歳! 国内であればどこへでもLCCで行ける気がします。全く不便を感じません。時間と金のない私にとって頼れる存在なのがLCC。

旅の始まり。それはいつも心を高ぶらせます。私は高揚する心をおさえられず、千歳のコンコースで踊りだしそうになりました。旅の始まりに心は踊り、幸せ色に染まります。しかも今回の旅は、私にとってよい記念でした。何か記念かって、自由に旅ができる立場になったことです。9月末日で常駐先から離任し、毎日決まった場所に出かける義務がなくなりました。自由。それは私が何年にもわたって望み続けた境遇。おのれのコントロールによって仕事を調整し、好きな時に旅に出る。そんな私の理想が初めて実現できたのが今回の北海道への旅でした。千歳のコンコースで私がどれほどの解放感に浸っていたか。とても文章に書き表せないほどです。

新千歳空港駅からエアポート快速に乗り札幌へ。千歳空港駅のトンネルを抜けると、車窓の向こうに広がるのは私の愛してやまない広大な北海道。ただ平らな大地が広がり、果てが見えません。これぞ北海道の醍醐味というべき眺め。私はこの光景を見たいがために繰り返し北海道を一周したのです。そんな私が久々に見る北の大地は、相変わらず旅の喜びを与えてくれます。

札幌に近づくにつれ、広大な風景の中にも少しずつ人家が目立ってきます。駅に停まるたび、駅の周辺に人家が目立ちはじめるのがわかります。人家だけでなく、隣の線路には並走する電車までも現れます。緑の列車です。側面に”SAPPORO”の文字と空を指差すクラーク博士のイラストが書かれています。テールランプには”ライラック”と書かれていました。”ライラック”は20年以上前、一人で北海道を電車で一周した際に乗った特急です。その時にも一人で北海道を特急に乗って回りました。その時の記憶が蘇り、私のテンションはさらに高まります。私の北海道の旅は、こんな粋なペイントを施された電車で歓迎されました。このような電車を横に並べて走らせるなんて、JR北海道もにくい演出をする。

札幌に着いた私たちは、すぐにホテルへ。駅の北側にあるホテルマイステイズが今回の宿です。妻がチェックインしている間に私は近くのタイムズカーシェアリングの駐車場に行き、予約しておいた車を調達。一日目の相棒はスズキのソリオ君があてがわれました。

今日の目的地は余市。私の希望です。北海道のロードサイドを存分に楽しみつつ小樽まで車を走らせます。国道5号線を走るのも15年ぶり。ずいぶんと久しぶりなので、前回がどうだったか全く思い出せません。多分、前回はレンタカーの足元を自在に動き回る風花や、乳児だった長女のお世話でてんてこまいだったはず。私も運転どころではなかったのでしょう。今だから書けますが、石勝峠を走っているときは長女を片手で抱っこしながら運転するはめになり、危なっかしかった。

目に見える景色の全てが新鮮です。そして私を興奮させます。運河や赤レンガ倉庫の横を通った際は、15年前の思い出話で妻との話に花が咲きました。当時、評判の店でアイスクリームを買おうと並んでいたら、中国人の団体に並ぶ列に割り込まれたのです。それが妻には強烈な思い出だったようで、何度もそれを言い募っていました。今回の旅は前回の旅で刻まれた悪い印象を拭い去る良い機会。楽しむで~。小樽を過ぎると目立ち始めるのは海岸線の美しさ。そして早くも色づき始めた木々の色合いです。本州よりも早く訪れた北海道の秋が私を魅了します。

やがて車は余市の中心部へと。まず最初に訪れたのは道の駅「スペース・アップルよいち」。ここは15年前にも来ました。まだ道の駅が健在な様子に安心しましたが、長居はしません。さっそく目的地へと向かいます。余市蒸留所。角に突き出した重厚な石組みの門構えはいつ訪れても独特の存在感を醸し出しています。拓殖に燃えた明治の意気込みを今に伝えるかのよう。今の日本の会社の多くは、入り口を開放的にすることに腐心しているようですが、この門は真逆をいっています。いつまでも開拓の志を象徴する門構えを守り続けて欲しいものです。

受付では見学ツアーを申し込みました。そしてツアー開始時間まで間があったので二人で構内をめぐりました。重厚な門が15年前の記憶を蘇らせたように、構内に建つ各建物の光景がその時の記憶を呼び覚まします。石組みのキルンに、蒸溜棟や貯蔵蔵。それらの全てが私の記憶を刺激します。

余市蒸溜所を訪れるのは今回で三回目です。私が初めてここを訪れたのは1996年のこと。一人で北海道を一周した旅の途中でした。ゲストセンターでおねだりし、田中美奈子さんが大きく映ったニッカモルトのポスターをもらって帰りました。このポスター、私の実家の部屋に今も貼ってあります。帰省の度に、旅の思い出が蘇ります。1996年当時は、今と違ってウイスキー景気が落ち込んでいました。そして観光客もまばらでした。ポスターをもらえるぐらいに。この時は一人で思う存分、中を巡った記憶があります。その次に来たのは家族で来た15年前。そろそろ、世界的にウイスキーの需要が上向きはじめていました。

そして今回。知っての通りここ十数年、世界的なウイスキーブームに湧いています。それに追い打ちをかけるように、NHKの朝の連続テレビドラマ「マッサン」がブームを巻き起こしました。「マッサン」を放映している頃、余市蒸溜所にも無数の観光客がやって来たと聞きます。実は今回の訪問にあたり、私が恐れていたことがあります。それはマッサンブームが余市蒸溜所を変えてしまったのではないか、ということです。しかし、私の見た構内の様子は21年前、そして15年前と同じでした。何も変わらず、そのままのたたずまいでそこに立っていました。竹鶴氏がリタ夫人と歩いたであろう昔のまま。レストランが前回と変わっていたかどうかは記憶から薄れていましたが、ゲストハウスは記憶と同じ。

二人でじっくりと歩いていると、受付の時間が迫っていることに気づきません。慌てて入り口の傍にある待合室まで戻ります。門の入ってすぐ左にある待合室。ここは初訪問です。今まで見学ツアーを申し込んでいなかったから完全にスルーしていました。なので、待合室に展示された全てが私にとって新鮮。ゲストをおもてなしするための展示物の数々が私をくぎ付けにします。北海道遺産であり、登録有形文化財であり、近代化産業遺産である余市蒸溜所。待合室の展示物に目をやるだけで時間が過ぎていきます。ここにいられるだけで満ち足りた気持ちになる。そんな場所はそうそうありません。

私がウイスキーにひかれたきっかけは1995年の夏。当時広島に赴任していた大学の先輩のおかげです。泊めていただいた先輩宅で飲んだ響17年が私にウイスキーのおいしさを教えてくれました。その響も、源流をたどればニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝氏に行き着きます。なぜなら竹鶴氏は山崎蒸溜所の建設にあたり、多くの力を尽くしたからです。そして、余市こそは竹鶴氏が理想のウイスキー作りを目指すために白羽の矢を立てた地。私は初めてこの地を訪れた際、場内の雰囲気に心の底から魅了されました。そして、この地を訪れたことで、私は決定的にウイスキーの道にハマるのです。

私にとって聖地にも等しい場所。ですから、三度目の訪問となった今回、マッサン景気をくぐり抜けても何も変わっていなかったことがとてもうれしかったのです。

しかもうれしかったことはまだ続きます。今回の見学ツアーでは、蒸溜棟で石炭直火焚きの現場を見せていただきました。感激。少し前までは石炭直火焚きによる蒸溜は世界で唯一、ここ余市でのみで行われているとされていました。今は世界中にクラフトウイスキーのディスティラリーが増えたので、他に採用している場所もあることでしょう。でも、余市蒸溜所の石炭直火炊きが今でもまれであることに変わりはありません。科学的な温度管理よりは効率で劣るのかもしれません。でも、竹鶴氏がスコットランドで学んだ技術を今も愚直に守り続ける。これこそが余市蒸溜所の素晴らしさなのです。その愚直さを象徴するものこそ、いかめしい門構えなのです。門は今も無言で語っています。その無言の語りに私が魅せられたものづくりのスピリットが込められていることは言うまでもありません。

私の記憶が確かなら、前の二回では石炭直火焚きの現場は見られませんでした。ところが今回はそれが見られた。感動です。ただ感動。ポットスチルにはしめ縄が巻かれています。ウイスキーとしめ縄。異質の取り合わせですが余市蒸溜所には似合います。魅力の一端がこうした形で示されていることに、私は深い感銘を受けました。

私のテンションはとどまるところを知りません。場内に漂う香りと雰囲気に酔っているのかも。スコットランドの蒸溜所を模したともいわれる石造りの建物群の間で立っているだけで、目が癒やされます。国内でも類を見ない景色は一見の価値があります。あとは観光用としてたまにしか人の立ち入らないというキルンが稼働し、大麦を乾燥させるその場に立ち会えればいうことはありません。今やキルンで大麦をいぶして乾燥させることは世界的にも少数派になっていると聞きます。仮に余市蒸溜所でキルンが常に使われる日がくれば、どれだけの評判になることか。多分、余市の名前はさらに広く世界にとどろくはずです。

見学ツアーで引き続き訪れたのは、創業当時からある貯蔵庫。ここは前の二回でも訪れました。私はここで我慢しきれず、ガイドさんに質問までしてしまいました。もはや私のテンションは旅人の域を超え、違うステージにあります。あんた、ここで仕事するか、と言われたら「はい」といいそうなほど。続いて訪れたウイスキー博物館でも私のテンションは持いています。ここは初めて来たときにはなかった施設です。前回の訪問時と比べても展示内容にも工夫が凝らされています。ウイスキー作りの愚直さと酒文化の奥深さを伝えて続けてほしい。そう思います。

見る景色、嗅ぐ香り、聞こえる音の全てが愛おしい。蒸溜所やバーを訪れるたびに、私は本当に酒にまつわるあらゆる文化が好きなのだなあと思います。

あっという間の見学ツアーも、ゲストセンター(ニッカ会館)で終わりました。ここではお待ちかねの試飲が。ところが、今回のわたしはドライバー。そういえば前回もドライバーで試飲を前に指をくわえていました。でも今回の旅は妻に飲んでもらわなければ。旅行に誘ってくれた感謝の意を込め、妻にはうまそうに飲んでもらいました。実は前回の訪問時、妻はそれほどウイスキーが好きではありませんでした。ところが今や妻もウイスキーの愛飲家。15年掛けて調教してきた成果がいまここに。私がちびちびとアップルジュースをいただく間、うまそうにウイスキーを空ける妻。うん、私も満足です。ま、私も精一杯、鼻で試飲しましたけどね。

心ゆくまで試飲を楽しんだ私たち。余韻を味わいつつ次に向かったのは、ニッカ会館に併設されているレストラン「樽」です。ここがまたおいしかった。余市をはじめ、北の大地が産み出す海山の産物が惜しげもなく使われた料理の品々。まずいはずがない。妻はここでもウイスキーを頼み、至極満足の様子。良かった良かった。私も飲めない分、料理を堪能しました。いつもよりも念入りに。

ついで私たちはディスティラリーショップへ。ここもまた、私にとっては誘惑に満ちた場所。目移りして困ります。あまりにも困ったので、娘たちへの土産だけ買いました。ところがショップを出てから、最後にウイスキー博物館の奥にあるBARに行ったことで、私たちはさらに散財してしまうのです。財布のひも?そんなモノはどこかに揮発しています。妻がここで頼んだのはシングルモルトの余市2000と、NIKKA COFFEY GIN。本場のバーで飲める至福を堪能する妻。私はそれを目で飲もうと凝視します。あまりのうまさに、私たちはディスティラリーショップに戻ります。さっきは鉄の意志で娘たちへの土産だけで我慢したのに、COFFEY GINの大瓶を購入。余市2000は無念の終売だったので、私はアップルブランデーを買いました。本物の地で生まれる本物の酒を前にして、財布の紐を締めることなど愚の骨頂。酒飲みの本能に抗うなど無意味な努力。私はそのことを深く思い知りました。

かなりの荷物になってしまいましたが、いかめしい門をくぐる私の顔には、きっと満面の笑みが浮かんでいたことでしょう。あふれんばかりの幸せとともに、今や私たちは余市蒸溜所を去ります。また来なければ!との思いとともに。

ただ、私はまだ未練を残していました。その思いは、私を次なる地に向かわせます。それは竹鶴氏とリタ夫人の眠るお墓。とはいえこのお墓は、マッサンブームの最中に竹鶴家の遺族から墓参をご遠慮してもらいたいとの話があったばかり。果たして観光客として静かな眠りを邪魔して良いものか。少し躊躇したのですが、おおよその場所まで車で近づきました。そして迷ったので墓参を諦めました。そのかわり、見事な夕陽を目撃しました。空を美しく染め、落ちて行く夕陽。その色は先ほど見た石炭の炎。竹鶴氏が日々の酒造りの中で見つめ続け、今もリタ夫人と一緒に見ているはずの色。それをパシャパシャと撮りつつ、竹鶴夫妻の眠る地にさよならを告げます。余市はあと何度来られるか。二十回も来られればいいほうでしょう。でも、また来たいとおもっています。独り、もしくは妻と。

余市には心から満足しましたが、せっかくなの久々の小樽にも寄ることにしました。東に向けて車を走らせている間に日は刻々と落ち、やがて空がすっかり闇で覆われたころ、小樽に着きました。前回は慌ただしく通過しただけでなく、妻が気分を害した小樽ですが、今回は気持ちも新たにのんびりと散策します。夜の小樽運河に映る灯りが旅の情緒をやさしく揺さぶります。余市で予想外の出費をしたので、あまり物は買いません。それでもさまざまな店を冷やかしました。夜でしたが、10数店は訪れたでしょうか。夜でも小樽の情緒は味わえます。むしろ夜だから良かったのかも。それは、あながちライトアップのせいだけではないでしょう。観光地だからこそ漂うゆとり。それが私たちを包みます。小樽は裕次郎記念館がかつてあったのですが、今回の旅のわずか1カ月半前に閉館してしまいました。15年前に訪れた際、妻が来たいと言っていたのですが。とうとう訪れることがなかったのが残念です。また小樽には来たいと思います。

そこからは同じ道を戻って札幌へ。ホテルにチェックインし、車を返します。そして二人で歩いてススキノまで。肌寒ささえ感じる涼しさの中、札幌駅を通り抜け、札幌駅前通りを南下しつつ、札幌の空気を味わいます。どの店に行こうかと品定めをしながら。ススキノは妻も初めて。私もほぼ初めてといってよいです。

この日は札幌で学会がありました。なので夜のススキノは歯科医が集まっています。妻が顔見知りの歯科医にばったり会うかもしれない。でも、それもまたよし。そして私たちが訪れたのは、有名なニッカの看板のすぐそばにあるお店。北海道 増毛町 魚鮮水産 すすきの店。妻がとにかく魚介が食いたい、と。私も全く異存のあろうはずがなく。そして偶然訪れたこの店がとてもおいしかった。魚が新鮮。すすきのとはこれほどのレベルなのか、とあらためて北海道気分が爆発します。私も焼酎やウイスキーをようやく楽しめました。こうして北海道に妻と来られたことに感謝しつつ。18年も結婚生活が続いていることに感謝しつつ。

帰りは時計台を見て帰ろうと、その道にそって北上。途中、大通公園からテレビ塔を見つつ。かつてここで寝袋で寝たのも、しきりに地元の方に家に泊まりに来い、とお誘いいただいたことも懐かしい。十分に満足して宿に帰り、私は持ってきたパソコンで仕事。全てが満ち足りた一日。


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