私が9歳の時に出会った江戸川乱歩。この出会いによって私の人生は決定づけられたといっていい。以来30年以上、傍らに書物のない時間が皆無と言っても過言ではない。私の書物愛好人生にもっとも影響を与えた作家である。

この時に西宮市立図書館で出会ったのは「妖怪博士」である。ポプラ社の江戸川乱歩少年探偵シリーズの1冊だった。ポプラ社の同シリーズは、46冊からなっており、大きく分けて2種類に分けられる。すなわち、怪人二十面相の出る作品と、そうでないものである。怪人二十面相が出るものは、子供向けに書かれた本がそのまま収められている。そうでないほうは、大人向けに書かれたものを子供向けに翻案したものである。「妖怪博士」は怪人二十面相が出る方の作品である。

「妖怪博士」によって江戸川乱歩の世界に招き入れられた私は、むさぼるように同シリーズの46冊を読破していく。怪人二十面相が出ない方の著書を読む機会はすぐに訪れた。当時、明石に住む祖父母宅の家によく遊びに行っていた私。帰りに明石ステーションデパートの本屋で本を買ってもらうのが楽しみだった。この時に買ってもらったのが、同シリーズの1冊「幽鬼の塔」である。私にとって初めて買ってもらった江戸川乱歩である。また、怪人二十面相が出てこない方の作品を初めて読んだのもこの時だったように思う。

初めて買ってもらった本という以上に、本作は思い入れのある作品である。柳行李を後生大事に運ぶ謎の男。男は好奇心から明智青年に行李の中身を盗まれ、見つからないと知った後は取り乱して浅草の五重塔に忍び込み、そこから首を吊る。その柳行李の中身を追って、次々と明智青年の前に表れる謎の男女。男女の意外な今と過去の暗い記憶が次々と暴かれてゆく。そして最後の対決から、さわやかな幕切れへと物語は急流のように進む。本書のスリリングな展開と後に涼風吹くような余韻は、少年の私の心に深く楔を打ち込んだ。以来30年以上、私の心は、この時の衝撃を超える読書の喜びを、ただひたすらに、飽くことなく求め続けているともいえる。

ポプラ社の同シリーズの1冊「幽鬼の塔」は子供向けに翻案されていたと先に書いた。本書は、その翻案前のオリジナルである。だが、私に記憶に残るポプラ社の粗筋と、本書の粗筋は、ほとんど変わるところがないように思える。長じてから読んだ他の著者の著作を、ポプラ社の同シリーズに収められていたものと比べてみると、子供向けに際どいエロ・グロ・猟奇趣味描写が注意深く除かれていることに気付く。しかし、本書はその内容や読後感にあまり違いがなかった。つまり、本書のオリジナルには、猟奇趣味と言われた著者の持ち味が比較的薄かったということかもしれない。そのため、ポプラ社の同シリーズの1冊に収めるにあたり、あまり翻案の必要がなかったと思われる。

いずれにせよ、大人向けの本書を読むのは初めてであり、少年の日に幾度も読み返した「幽鬼の塔」の興奮がまざまざと蘇ってきた。粗筋は先に書いた通りだが、読後感のさわやかさも同じである。もちろん、大人になった私が読むと、粗がないでもない。だが、書物とは、読む者の心に何を与えるか、である。本書が私に与えた影響から言って、これ以上私に何が述べられようか。

述べるとすれば、本書に収められているもう一編のほうである。恐怖王。これはポプラ社の同シリーズにも収められておらず、初めて読む一編である。こちらは著者の猟奇趣味が存分に出た一編。死体を盗み出しては死化粧を施し、花嫁と仕立てあげ、情死体として発見されるように仕向ける。見るからに怪しげなゴリラ男や謎の未亡人などが登場し、ことあるごとに空中に飛行機雲で恐怖王の文字を描き、死体に入れ墨で恐怖王と大書するなど、恐怖王の自己顕示を忘れない犯人。大風呂敷を拡げるだけ拡げた本編は、ポプラ社の同シリーズに収められなかったのも頷けるほど、猟奇趣味の横溢した内容である。しかも恐怖王恐怖王と事あるごとに自己顕示を怠らなかった犯人が、行方をくらましてしまう結末である。読者としては宙ぶらりんな読後感を拭えない。著者お得意の大風呂敷がきちんと畳まれずに終わった一編である。が、その猟奇趣味に溢れた内容は、著者の作風を味わうには格好の一編ともいえる。

’14/06/23-‘14/06/25


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